一般コラム
街紹介

神保町の由来

こんにちは。

梅雨も明け、夏本番ですね。

オフィスの中からでも、蝉の鳴き声が聞こえる毎日です。

さて今回は

「東京都千代田区神保町」の由来についてお届けします。

最後までお付き合い下さいね。


神田神保町古書店街として有名です。

その規模は世界でも有数といわれています。

神保町の地名の由来は、

現在の神田神保町2丁目あたりに

江戸時代、幕府旗本の神保伯耆守長治の屋敷が

あったことが由来とされています。

神保長治という人物は、

徳川家康の墓所、日光山の管理を任されたり、

後に佐渡奉行に任命されたりしています。

地名となった屋敷の敷地は九百九十五坪あり

屋敷の前の道は「神保小路」と呼ばれていたそうです。

とても幕府の信任が厚い人だったのでしょう。


付近一帯は、大名の江戸屋敷や大身の旗本の武家屋敷が

多く立ち並んでいました。

武家地には町名・地域名がありませんので、

行政から正式な地名で神田神保町と呼称されるようになるのは

1872年(明治5年)からになります。


しかし明治維新後、大名は各領地に戻ってしまい、

幕府は無くなりましたので、土地は新政府に接収されます。

もともと広大な大名・武家屋敷跡地ですから、

新政府は病院や大学を建設していきます。

それに伴い、学生や専門性をもった職業人の往来が多くなり、

専門書等書物の需要が増えてきました。

それが世界でも有数の古書店街の始まりと云われています。

また、神保町といえばカレー激戦区といわれるくらいカレー屋が多い地域です。

本当かどうかはわかりませんが、

本のページをめくりながら、片手で食べられることから、

カレー屋が多く立ち並ぶようになった!?ということです。

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