皆さま、こんにちは。
気づくと、あっという間に11月です。
いつも年末までだらだらと先延ばしにしてしまう
部屋の片づけに今年は手を付けてみようと思っています。
さて今回の街角エッセイは、
『神奈川県横浜市中区 山手』の由来
についてお届けします。
最後までお付き合い下さいね。
都市景観100選にも選ばれている山手町は、
住宅地としても観光地としても、とても人気のあるエリアです。
開港当初は、関内周辺が外国人居留地とされた区域でしたが、
だんだんと手狭になって来たため、
外国人達は、当時「ブラフ」と呼ばれていた高台に目を付けます。
ブラフとは、「切り立った岬」という意味があるそうです。
そこに計画的に街を作り始めます。
関内の居留地に対して南側の高台に造られたため、
やがて「山手」と呼ばれるようになり、
逆に関内周辺は「山下」と呼ばれるようになりました。
教会、墓地、公園などが積極的に造られていきます。
特に公園は外国人居留地住民の強い要望がかない、
日本政府から約6千坪の土地が貸与されます。
この公園が日本最初の洋式公園(山手公園)であり、
また日本で初めてテニスがプレーされた地も山手公園です。
開港以来多くの欧米人が暮らすようになった同地には、
使用人として働く多くの中国人もやってきます。
そしてその人達が暮らす街がやがて横浜中華街と云われるようになります。
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