皆さま、こんにちは☀
今回の街角エッセイは
「船橋の由来」
についてです。
どうぞお付き合いください!!
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
船橋沖の海は江戸時代、徳川将軍家に新鮮な海産物を献上する
「御菜ケ浦(おさいがうら) 」と呼ばれ、
漁師町として大きく発展してきました。
当時の船橋は、海神村、九日市村(現本町)、五日市村(現宮本)の
三ヶ村をまとめて「 船橋 」と呼んでいたそうです。
地名の由来も諸説あります。
”日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際、
海老川に舟を繋いで橋を造らせたことが地名の由来である”とか、
”通った人物は景行天皇である”とか・・・
渡った人物が誰であれ、
舟を並べて橋を作ったというのは事実のようです。
また海神村の地名由来も
”日本武尊が入日神社に神鏡を祀り、海の神様とした”
ことが由来と云われています。
船橋の漁師たちは将軍家に海産物を納める代わりに、
広大な漁場の占有を幕府から許可されます。
江戸の海を支配するぐらいの勢いがあったのではないでしょうか?
「 船橋 」という地名は
大きな川に橋を架けられるくらい舟を所有しているんだぞ!
という漁師さん達にとっても自慢の地名だったのかもしれません。