一般コラム
街紹介

千川の由来

皆さま、こんにちは
かたつむりネット営業室の田中です。
今月の街角エッセイは
 千川の由来 
ぜひ、ご覧ください♪
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地名の由来は、江戸六上水の一つ千川上水に因みます。
江戸は海が近く、井戸からは良質な水が確保できない為
当初は千鳥ヶ淵や赤坂に貯水池を作り水の確保に努めました。
しかし爆発的に江戸の人口が増えてきたため、
貯水池では対応出来なくなってくると
上水道の整備を行い始めました。
神田上水(小石川上水)・玉川上水は
江戸初期に開発された有名な上水です。
その後に、亀有上水・青山上水・三田上水・千川上水が完成します。
元禄9年(1696年)完成の千川上水は、
武蔵境から玉川上水を分流させ巣鴨まで掘られた水路で、
巣鴨から先は「樋」(とい)を通して本郷・下谷方面に給水していました。
千川上水はどちらかと言うと庶民向けの上水ではなく、
大名・寺院向けのものだったと伝えられています。
下流では大名向けのお水に変わってしまう千川上水も
長崎村付近では、可愛らしい民話も残されています。
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昔、長崎村に半五郎さんという桶屋が住んでいました。
ある月夜の晩に千川上水の土手を歩いていると、
大きなかわうそが
むじなの子供
水のなかへ引き込もうとしています。
半五郎さんは石をかわうそに投げつけて
むじなの子を救ってあげました。
半五郎さんは、
「この付近には人間も騙すような悪いかわうそがいるから
お前のような子供はすぐに食べられてしまうよ。
あぶないから川に近づいてはいけないよ」
と注意するとむじなの子は頭をさげて
雑木林の方へ消えていきました

* * *
それから何日か経って半五郎さんは
名主さんから注文を受けた飯台を
うまく作れずに四苦八苦していると、
トントンと表戸を叩く音がします。

戸を開けると、あのむじなの子がいました。
半五郎さんに助けてもらったお礼がしたかったものの、
川には近寄れず、
遠くから半五郎さんの家を毎日見ていたそうです。
今夜は遅くまで明かりがついていたので
何か起こったのかと心配して見にきたとのこと。

半五郎さんは仕事がはかどらないことを伝えると、
むじなの子は
「わたしがお手伝いしましょう」といって
木を選んだり、竹を曲げたり
せっせと手伝い始めました。

元気の出てきた半五郎さんは、
これまでにないほどの出来栄えのいい飯台桶が完成します。

五郎さんは、むじなの子にお礼として
小さな桶を作ってあげました。


* * *


月夜の晩になると、
千川上水で桶に乗って遊ぶ
むじなの子を見たと
村人たちの噂になったそうです
(民話・「ちいさい桶」)


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なんとも微笑ましい昔ばなしが伝わっていますね。
とくに私は、むじなの子が
「お礼が言いたいけど川には近寄れず
毎日遠くから半五郎さんを見ていた」
というところが可愛すぎてキュンキュンきました

助け合いの尊さが溢れた素敵な昔ばなしですね。