一般コラム
街紹介

滝野川の由来

皆さま、こんにちは
かたつむりネット営業室の田中です!
今月の街角エッセイは

・・~滝野川の由来~・・
ぜひ、ご覧ください♪
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滝野川という名称は石神井川の別称です。
石神井川が板橋区加賀付近から急に
川底が深くなって渓谷状となり、
水流も急であったことから、
滝野川と呼ばれるようになったそうです。
現在滝野川がある北区は、
元々は滝野川区と王子区が
1947年(昭和22年)に統合されて出来た区です。
歴史上、滝野川という地名は古くから伝えられており、
鎌倉幕府の正史吾妻鏡によれば、
 源頼朝が初めて武蔵野に上陸した のが
石神井川流域の滝野川金剛寺付近といわれ、
その後に出てくる源平盛衰記にも、
頼朝の上陸地点は
武蔵国豊島の上、滝野河、松橋(板橋)
と記されています。 
滝野川ごぼう滝野川にんじん
という野菜名があります。
これは野菜そのものことではなく、
大名・庶民の往来が激しい中山道で
それら野菜の種子を販売していたそうです。
(旧中山道)
かなり評判が良かったようで、
参勤交代で江戸に来ていた大名が帰路に
滝野川で種子を買い求め、
自藩の領地で栽培させていたようです。
滝野川周辺の中山道は当時、
種子屋街道と呼ばれていて、
20軒近くの種子屋が軒を連ねていたそうです。