一般コラム
街紹介

荻窪の由来

皆さま、こんにちは
かたつむりネット営業室の田中です!
今月の街角エッセイは

■ 荻窪の由来 ■
ぜひ、ご覧ください♪



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通称「萩寺」とよばれている「光明院」が
荻窪の地名の由来そのものとして伝えられています。
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和銅元年(708年)
行基作の観音像を背負った旅の僧が、
この地を通りかかったところ、
背負っていた観音像が急に重くなり
歩くことが困難になってしまいました。
この地と重くなった観音様には
何かの縁があると思った僧は、
周辺に自生していたオギ・萩という草を
刈り取って、草堂を作り、観音像をそこに安置し
草堂を萩堂(萩寺)としました。
現在でも「荻窪の観音さま」として親しまれています。
光明院の敷地には
泣きべそ地蔵」という4体の石仏があります。
小張吉兵衛さんが建立したそうです。
4体の石仏は、自身の両親と奥さんを相次いで亡くし、
その悲しみを紛らせるために建てました。
建てられた当時は
4体とも普通の顔をしていたらしいのですが、
だんだん悲しい顔に変わり、
ついには泣きべその顔に変わってしまったと伝えられています。
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荻窪は
自己主張の強い観音様や仏像が
多く集まってくる
パワースポットなのかもしれませんね。