一般コラム
街紹介

川越の由来

皆さま、こんにちは
かたつむりネット営業室の田中です!
今月の街角エッセイは
 川越由来 ■

(本川越駅前)
ぜひ、ご覧ください♪
 – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – 



川越の地名の由来はいくつか存在します。

周囲に荒川入間川があり、

これらのえなければたどり着けない場所であった為、
河越と呼ばれる説。
桓武平氏、秩父氏の流れを汲む河越氏
この地を本拠として荘園を開発したことから
氏の名前が地名になった説。
大きな川が流れ込み土地が肥えているため、
元は、「河肥」と呼ばれていたという話もあります。
 – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – - 
川越は江戸に最も近い城下町であり、
江戸城北方の軍事拠点でもあり、
川越街道新河岸川の水運により
物品や文化の往来が盛んでした。
世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり
と謳われるほど
江戸との関係が深かったのです。
 – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – - 
(喜多院)
川越に「喜多院」という天台宗のお寺があります。
五百羅漢の石像が有名で
日本三大羅漢」の一つとされています。
500以上の羅漢像が全て異なるポーズや表情をしています。
そのどれもがユニークな存在で、
洒落や冗談が大好きな江戸庶民が
そのまま石になってしまったように見えてしまいます。