皆さま、こんにちは
オークラヤ住宅の田中です!

今月の街角エッセイはこちら!!






千住の由来



日光街道・奥州街道(奥州道中)の壱番目の宿場町である千住は、
古来より賑わいのある街として、現在まで発展してきました。



千住という地名の由来はいくつかあります。

代表的なものとしては、
荒川で網を投げて漁をしていた新井図書政次(源頼朝の元家臣)
千手観音像を網で引き揚げました。
水底から出てきた観音像にびっくりした政次は
大切に自宅に安置していましたが、
政次の子、新井兵部政勝が勝専寺に移し
現在では足立区の登録文化財になっています。

また、室町幕府8代将軍足利義政の側室千寿の出生地であったとする説。

関東の豪族千葉氏が住んでいたので千葉住村と呼ばれ、略して千住という説

…などがあります。

地名の由来説が多い場所は、
それだけ人々の関心が高く、
人気のある場所であることが窺えます。

江戸時代には千住大橋の架橋により開発に弾みがつき
街道筋の宿場町の規模としては
江戸4宿のひとつになるほど賑わいました。

元々、嬉しいことやおめでたいことが大好きな江戸庶民にとって千住は
千寿であり希望ある土地だったのだと思います。

川から現れた観音像説、
多くの側室がいたと云われる足利義政の側室の出生地説、
どれが本当でも微笑ましい由来だと思います。





現在の千住



現在の千住に関しましては、
先月アップしたブログにて詳細にご紹介しておりますので、
ぜひこちらをご覧ください。





 千住プチ紹介 

千住の由来でもご紹介した、
足立区の登録文化財になっている
勝専寺

赤門寺」という通称で地元民に親しまれているこの寺は、
京都知恩院を本山とします。

本堂はインドの寺を模した特徴的な形状をしており
明治39年に建造されたものです。

勝専寺には本堂以外に「閻魔堂」があり、
地獄の蓋が開くとされる1月15日~16日および7月15日~16日
閻魔堂の扉が開かれ閻魔大王像が開帳される
閻魔開き」という祭りが催されます。

露店もたくさん出ている活気ある祭りとなっています。


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さて、千住の魅力は伝わりましたでしょうか。
文章だけでは伝わらない!という方、
ぜひ一度、千住に足を運ばれてみてはいかがでしょうか。


それでは次回もお楽しみに…