皆さま、こんにちは☀
オークラヤ住宅の田中です!
今月の街角エッセイはこちら!!

千住の由来
日光街道・奥州街道(奥州道中)の壱番目の宿場町である千住は、
古来より賑わいのある街として、現在まで発展してきました。
千住という地名の由来はいくつかあります。
代表的なものとしては、
荒川で網を投げて漁をしていた新井図書政次(源頼朝の元家臣)が
千手観音像を網で引き揚げました。
水底から出てきた観音像にびっくりした政次は
大切に自宅に安置していましたが、
政次の子、新井兵部政勝が勝専寺に移し
現在では足立区の登録文化財になっています。
また、室町幕府8代将軍足利義政の側室千寿の出生地であったとする説。
関東の豪族千葉氏が住んでいたので千葉住村と呼ばれ、略して千住という説
…などがあります。
地名の由来説が多い場所は、
それだけ人々の関心が高く、
人気のある場所であることが窺えます。
江戸時代には千住大橋の架橋により開発に弾みがつき
街道筋の宿場町の規模としては
江戸4宿のひとつになるほど賑わいました。
元々、嬉しいことやおめでたいことが大好きな江戸庶民にとって千住は
千寿であり希望ある土地だったのだと思います。
川から現れた観音像説、
多くの側室がいたと云われる足利義政の側室の出生地説、
どれが本当でも微笑ましい由来だと思います。
現在の千住
現在の千住に関しましては、
先月アップしたブログにて詳細にご紹介しておりますので、
ぜひこちらをご覧ください。
◆◆ 千住プチ紹介 ◆◆
千住の由来でもご紹介した、
足立区の登録文化財になっている
勝専寺
「赤門寺」という通称で地元民に親しまれているこの寺は、
京都知恩院を本山とします。
本堂はインドの寺を模した特徴的な形状をしており
明治39年に建造されたものです。
勝専寺には本堂以外に「閻魔堂」があり、
地獄の蓋が開くとされる1月15日~16日および7月15日~16日に
閻魔堂の扉が開かれ閻魔大王像が開帳される
「閻魔開き」という祭りが催されます。
露店もたくさん出ている活気ある祭りとなっています。
✤ ✤ ✤
さて、千住の魅力は伝わりましたでしょうか。
文章だけでは伝わらない!という方、
ぜひ一度、千住に足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
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それでは次回もお楽しみに…