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今回は「東京都北区十条の由来」についてのお話です。
北区の十条という地名は、
上十条、中十条、東十条、十条仲原、十条台の5町で
構成されています。
この町域の総称を十条と呼んでいます。
地名の由来にはふた説あり、
鎌倉幕府の有力御家人、豊島清元(としまきよもと)が
熊野権現を勧請した際、紀州の十条峠に因んでつけたという説と、
もうひとつは、古代条里制に基づくという説です。
条里制というのは、古代の土地区画法で、
土地の形を四角く同じ大きさに区切り土地の分配や税の徴収などをし易くした
日本で初めての区画整理法です。
具体的には、6町(約654m)の幅で碁盤目状に区画し、
東西の列を条、南北の列を里とし、その一区画を里と呼びました。
さらにその里を36区画に分けて、その一つを坪と言いました。
こうして特定する田地などを、○○国○○郡○条○里○坪と表したそうです。
こちらの説が有力とされています。
十条富士神社には、
地元で「おふじさん」の名で親しまれている富士塚があります。
江戸時代には富士登山に行けなかった庶民でも、
「おふじさん」を登ることで参詣ができてしまうという
ありがたく便利な塚であります。
現在では、北区指定有形民俗文化財 に指定されています。
また、十条地区には
北区最大の商店街、
十条銀座商店街、十条富士見銀座商店街などがあります。
独自で商店街店舗利用促進の為のスタンプ事業を展開したりして、
工夫しながら進化を続けています。
遥か昔に区画整理を施され土地として整備がされただけにとどまらず、
そこに住まう人々が、自分たちの暮らしがより豊かになるよう考えながら
発展してきた町なのだと思います。