こんにちは。
今回の街角エッセイは「東京都港区赤坂の由来」です。
地名の由来は諸説あります。
高台にある紀州徳川家で茜草が多く採れることから、
周辺を茜山と呼び、途中の坂は茜坂と言われていました。
その茜坂(あかねさか)が詰まり(あかさか)となり、
語感の良さも相まって、多くの人が赤坂と呼ぶようになったそうです。
その他に、赤土の坂だからという説や、
染物屋が坂に赤い絹を干していたからという説もあるそうです。
江戸城には36の見附があります。(江戸城三十六見附)
赤坂見附もそのひとつです。
見附というのは、江戸城門に置かれた見張り番所のことです。
36か所というのも語呂がいいので36になったと云われています。
城門の見張り場所は66か所説・90か所説など
諸説あり、実際はもっと多くあったようです。
見張り番所赤坂見附が置かれた門のことを赤坂門と言います。
赤坂門は江戸城から相模大山方面に通ずる
大山街道(現在の国道246号)への出発地です。
また赤坂門は江戸城城西の守りの要でした。
そのため坂上には紀州徳川家、大身の旗本・大名の屋敷を配置して
さらにその下を流れる川を整備し、江戸城外堀としました。
城内で働く職人など庶民が坂下で生活するようになってきます。
赤坂周辺は江戸時代に成立した街の機能がそのまま残されています。
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