一般コラム
街紹介

志木の由来

皆さま、こんにちは
かたつむりネット営業室の田中です!
今月の街角エッセイは
志木の由来
ぜひ、ご覧ください♪
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志木市、新座市、朝霞市、和光市周辺は
古来より「にいくらの里」と言われてきました。
奈良時代に多くの渡来人が移り住み
爾比久良」(にいくら)という文字が充てられています。
志木も時代によっては、
志楽・志楽木・志羅木(しらぎ)などと呼ばれています。
荒川・新河岸川・柳瀬川に囲まれた同地は
古来より水運でかなり開けていたようです。


明治22年町村制の施行とともに「志木町が生まれ、
昭和19年、周辺の集落がいくつか合併することにより
志紀町」となり、その後「立町」と町名を変えますが、
最終的に昭和33年に朝霞市の一部を編入して
志木市」が誕生します。
ちなみに面積は日本の市のなかで6番目に小さいとのことです。
志木市は利便の良い川に囲まれている為か、
カッパにまつわるお話が多く残っています。
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~志木市 カッパ物語~
柳瀬川に住むカッパが馬や人間を襲うことがよくあったそうです。
そんなカッパも川に乗り入れてしまった暴れ馬のせいで、
散々踏みつけられ弱ってしまい陸に上がってきます。
弱ったカッパを住民が囲み、
懲らしめてやろうといきまいています。
それを聞きつけた宝幢寺の和尚さんが、
泣いて住民に謝っているカッパを不憫に思い、
「今後は絶対に人や馬に危害を加えてはいけないよ」と諭すと、
カッパは自分の行いを悔い和尚さんと約束をします。
住民たちの許しをもらいカッパは水の中に帰っていきました。
その翌朝、和尚さんの枕元には
命を助けてもらったお礼なのか鮒が2匹置いてありました。
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そんなカッパのお話が多く残っている地域でもあります。