一般コラム
街紹介

登戸の由来

皆さま、こんにちは
田中です!
今月の街角エッセイは
 登戸の由来 
登戸」は、地形がその名の由来となります。
低地である多摩川の河原が
摩丘陵への登り口だったことから
登戸」と呼ばれるようになったという説です。
またアイヌ語の「ヌプルット
濁った沼」という意味らしいのですが、
それが訛って「登戸」になったという説もあるそうです。
いずれにしても多摩川が関係しています。
(多摩川)
登戸」は多摩川の水運と
津久井道の往来で大いに栄えました。
津久井道とは江戸時代、
近隣の産物を江戸に運ぶ重要な産業道路でした。
甲州街道の脇街道として
津久井の名産である絹製品なども
多くの商人によって江戸に運ばれたそうです。
人々が多く利用するようになると、
そこにまた人が集まります。
旅人宿・居酒屋・煮物売り・髪結・鮎商
湯屋・干菓子造り・醤油・馬鞍
いろんな職種の人達が集まり町を形成していきます。
津久井道戦略的に計算されて造られた道ではなく
人々の往来で自然派生的に出来上がった街道
その為か
この地には昭和28年まで
多摩川には橋が架かっておらず
専ら「登戸の渡し」に頼っていました。
江戸時代からこの地域に祀られている
北向地蔵」は
特別なご利益がある子育て地蔵として
また
同じ場所に祀られている
馬頭観音」は
物資の運搬には欠かせない馬の保護神として
広く伝わり地域の人々に大切に守られてきました。
(北向地蔵と馬頭観音)