一般コラム
街紹介

<台東区>江戸唯一の戦場となった「上野」

皆さん、こんにちは。
9月も後半にさしかかりましたが、いかがお過ごしでしょうか??
先日、関東地方では、二夜続けての「ゲリラ豪雨」で
私も帰宅時に巻き込まれました。
帰宅したら真っ先に生後1か月半の娘のベットに直行。
ずぶ濡れの私を見た瞬間、今までで一番の笑顔を見せてくれました。
そんなにおもしろかったのでしょうか、、、(笑)
さて、今週も3連休、今日は彼岸の中日ですね。行楽にいかれる方も多いでしょうか。
カレンダー通りのお休みの方は2週連続の3連休なんですね。うらやましい限りです。
私どもは絶賛営業中です!!涼しくもなってきた今日この頃、
皆様のお問い合わせ、お待ちしております!!
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
さて、第5回目の場所は
東京都台東区「上野」です。
 – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – 

  現在の上野は
現在の上野はアメ横・動物園・博物館・美術館など様々な分野が楽しめるスポットですね。
また、上野公園は東京都の桜の名所としても有名ですね!
お花見に行かれた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
私が上野に行ったのは金曜の午後でしたが、大勢の人が街を賑わせていました。
というのも、外国人の観光客が多くいましたね。
今や日本の代表する観光地の一つですね。
今回、上野公園を中心に廻ってきました。
公園のシンボルの一つに「西郷隆盛像」がありますね。
大河ドラマでは、昔、あんなに優しい西郷さんが、
どんどん黒くなっているような気がしますが、気のせいでしょうか。。。(笑)
  さて、上野にゆかりのある人物とは??
皆さん、「彰義隊」をご存知でしょうか??
今や全国区の上野界隈ですが、
今からちょうど150年前は都内唯一の「戦場」でした。
幕末時に鳥羽伏見の戦い以降、東へ敗走を続ける旧幕府軍は、
とうとう江戸付近まで、押し戻され、西郷率いる新政府軍は
江戸総攻撃をしかける手前まできていました。
江戸無血開城によって無事に江戸は新政府軍の配下に入り、
江戸の戦火は免れたとなっていますが、実は上野周辺は
新政府軍と旧幕府軍が戦った江戸唯一の
「戦場」となり、焼け野原となってしまいます。(上野戦争)
この上野戦争時に旧幕府軍として、
新政府軍に対抗したのが「彰義隊」です。

彰義隊は幕末の動乱期に、徳川慶喜の助命や復権を求めて、
上野戦争で新政府軍と戦った部隊の事をいいます。
最盛期には数千人を超える部隊になったそうです。
なぜ、上野が戦場となってしまったのかは、
当時、謹慎中だった、徳川慶喜がこの上野にある
徳川家の菩提寺 「寛永寺」に身を置いていたためといわれます。

そして、彰義隊も寛永寺に拠点を構えるようになります。
しかし、徳川慶喜は故郷「水戸」に退去してしまい、
彰義隊も撤退を考えましたが、結局上野に留まることになります。
そして、掃討作戦を展開する新政府軍と戦うことになります。
新政府軍は外国製の武器を用いた圧倒的な戦力を用いて、
総攻撃を仕掛けます。
~激戦地となった寛永寺黒門付近の様子~
不忍池を挟んだ現在の文京区本郷から放たれた佐賀藩の
アームストロング砲は、池を超えて
上野まで飛んできたといわれています。
~現在の不忍池~
(対岸側が文京区本郷になります。)
アームストロング砲と新政府軍の圧倒的な戦力によって、
上野は陥落、夕方5時に戦いは終了したとされています。
~寛永寺の黒門(現物)~
写真は当時の戦いの激しさを物語る現存している寛永寺の「黒門」です。
無数の銃弾が撃ち込まれているのが分かります。
(現在は三ノ輪にある円通寺に移設されています。)
当時、旧幕府側についたものは、朝敵として扱われたため、
上野で亡くなった彰義隊士の遺体は上野に放置されたままでした。
(後に円通寺の住職によって当地で荼毘に付されます。)
明治7年、明治政府の許可が下りて、
生き残った隊士によって、お墓が建立されましたが、
隊士の名は刻むことができず、山岡鉄舟の筆で「戦死之墓」としか
刻むことができませんでした。
このお墓は上野公園内にありますが、
有名な「西郷隆盛像」の裏にひっそりと建てられてます。
今も勝者の影にひっそりとしている様子です。
(最初、墓石は隠れるように、地中に埋められていたそうです。)
彰義隊の壊滅後、江戸では戦闘がなくなり
明治天皇が江戸城に入った後、
江戸は「東京」と改め、日本の首都となり、近代化が始まります。
現在の上野を見ていると、とても戦場だったことは想像つきませんね。
~現在の上野公園~
上野は博物館や美術館で「文化」に触れることができて、
動物園で「生き物」に触れてることができる、「教養」を育む場所という
イメージがありましたが、今回の訪問で少し違った角度で
上野を廻ることができました。
街には、どうしてもその街のイメージがありますが、
現在ではなく、歴史を振り返ってみると意外な側面が現れるかもしれません。
皆さんも上野に行った際は、寄り道してみて
明治維新や「彰義隊」について思い馳せてみてはいかがでしょうか!!
今回もお読みいただき、ありがとうございました。