一般コラム
街紹介

<豊島区>最後の将軍「徳川慶喜」が住んだ街:巣鴨

皆様、こんにちは!
歴史上の人物「ゆかりの街」紹介の
第2弾になります。
何とか、私のブログは続行が
認められまして、今回もある人物を
取り上げまして、ご紹介させていただきます。
前回は大田区にある洗足池を取り上げ、
勝海舟をご紹介しましたが、
今回は言わば勝海舟の上司に
あたる人物のゆかりの地を
ご紹介していきます!!
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さて、第2回目の場所は
東京都豊島区「巣鴨」です。
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 現在の巣鴨について
「おばあちゃんの原宿」というのは有名な話ですが、
山手線・都営三田線が乗り入れ、
道路は中山道(国道17号)走っており、
交通網も発達した賑やかな街なんです!
「巣鴨駅」の乗降客数は
豊島区内を走る山手線の駅の中では
池袋に続く第2位!!となっており、
賑やかさが伺えます。
最近ではリクルート住まいカンパニーが発表した
「関東穴場駅ランキング」では
2016年は第4位・2017年は第6位
2年連続ベスト10入りを果たしています!
 「ソメイヨシノ」の発祥の地として
巣鴨といえば真っ先に思い浮かぶのは
「おばあちゃんの原宿」のイメージでしょうか。

しかし、日本の代表的な「桜」、ソメイヨシノの発祥地とは
皆様ご存知でしたでしょうか?
詳しくは現在の巣鴨駅とお隣の駒込駅の間が
発祥の地とされています。
そのため、巣鴨・駒込双方が「発祥の地」と主張しています。
巣鴨周辺は当時は武蔵国豊島郡染井村と呼ばれており、
江戸時代から明治にかけて立派な庭園を持つ
お屋敷が多く建ち並んでいたそうです。
 その一因もあって、周辺に植木職人が集まり、
多数の植木屋が営業を行っていました。
その中で開発されたのが、あの「ソメイヨシノ」だそうです。
~巣鴨駅前にある記念碑~
私も、これは今回巣鴨を調べる上で
初めて知りました。
日本の代表的な桜「ソメイヨシノ」は東京生まれだったのですね!
 さて、巣鴨にゆかりのある人物とは?
巣鴨には日本最後の「ある要職」に就いていた
人物が住んでおりました。
それは、、、
江戸幕府15代将軍「徳川 慶喜」です。
徳川慶喜は、皆様ご存知の通り、
江戸幕府最後の、いや日本最後の将軍です。
現在の大河ドラマ「西郷どん」では
松田翔太さんが演じていることも話題ですね!
「ヒィー様!!」と、かなりイケイケに演じられていますね!(笑)
実際、その政治手腕にはカリスマ性があったそうで、
260年も続いた江戸幕府を終わらせ、一時は朝敵となった
慶喜でしたが、後にその決断こそが明治維新の功績として、
明治維新最大の功労者として評されるようになりました。
徳川慶喜は江戸幕府の将軍では
最高齢となる77歳(大正2年)で亡くなられています。
ちなみに第2位は初代の家康です。
どうでしょう??最近まで生きられていますよね。
私の祖父は大正生まれで、まだ元気ですので、
近いように感じられます。
慶喜は政権を朝廷に返した大政奉還後、
静岡で約30年、隠居生活を送ります。
静岡時代は趣味に没頭し、写真や弓・狩猟など
多彩な趣味を持っていたそうです。
ちなみに、その時の写真は当時のコンテストに
応募していたそうです。もはや現代人ですね。(笑)
「撮影者:徳川 慶喜」
 え!?
と審査員はびっくりしますよね?(笑)
もしかして、審査に忖度はあったのでしょうか、、、?笑
そんな生活が約30年経ちますが、
ついに東京に戻ってくることになります!
その地が、この巣鴨」だったのです。
慶喜はもう61歳の時でした。
なぜ巣鴨に移り住んだのか不明ですが、
当時の巣鴨には、もちろん山手線もなく
「植木の街」として発展してきたルーツがあるので、
のどかな場所に住みたい慶喜には
合っていたのでしょうか。
~巣鴨邸跡の写真・地図~
※アミカケ部分が屋敷の敷地です。
場所は現在の巣鴨駅近くの一等地!
さすが、(元)上様!地図にあるように駅前に広大な屋敷を
構えています。
地元の方からは「ケイキさんの梅屋敷」
呼ばれていたそうです。
これは、慶喜が故郷の水戸の梅を思って
屋敷内に多くの梅の木を植えたことから
そう呼ばれていたそうです。
慶喜は巣鴨時代に、明治天皇に拝謁し
事実上、名誉を回復したことになります。
ところが、住み始めて約4年!
慶喜は巣鴨からの引っ越しを決意することになります。
東京が日本の首都になって約30年。
引き続き、東京の街開発は進んでいく一方でした。
巣鴨周辺も例外ではありません。
ある計画が慶喜に巣鴨引っ越しを決意させるのでした。
!!山手線開通!!
これまた、時代が近いように感じられますね!
今はなき武士の象徴でもある「将軍様」が山手線との
絡みがあるなんて。。。
1903年(明治36年)山手線巣鴨駅が開業しました。
家の近くを山手線が通ると知った慶喜は
騒音などを嫌って開業前に引っ越すことを決意しました。
前述したように静かな地域を好んでいた慶喜は
近くを鉄道が通るのことを我慢出来なかったようです。
その後、慶喜は小石川に転居し、
そこが終焉の地となります。
現在の慶喜邸跡は、姿、かたちもなく、
建物が隙間なく建ち、国道17号線(中山道)が街を横断しており、
慶喜邸跡地には石碑が建っているだけとなっています。
駅前に大きな屋敷を構えていた慶喜が転居したこともあって、
ここまで巣鴨駅周辺は発展したのかもしれませんね。
最後の将軍、徳川慶喜が暮らした巣鴨。
今は東京都心を走る山手線の駅の一つですが、
駅周辺には大きな商業ビルなどもなく、商店街や個人商店が
建ち並ぶ、人情味ある街です。
慶喜自身も「ケイキさんの梅屋敷」と地域の方から
親しまれていたことからも人情味が伺えますね。
また、ソメイヨシノの発祥の地とは驚きました。
巣鴨は「おばあちゃんの原宿」のイメージが強いですが、
こうやって、また違う街の魅力が発見出来るのも楽しいですね。
今回は桜の時期には訪問出来ませんでしたが、
開花の時期にはお祭りもあるようなので、
是非、発祥の地で「ソメイヨシノ」を見てみたいものです!
以上です。
次回もお楽しみに!!!!