一般コラム
街紹介

高島町の由来

皆さま、こんにちは
かたつむりネット営業室の田中です。

今月の街角エッセイは
 高島町の由来 
ぜひ、ご覧ください♪
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横浜の父とも呼ばれている、
高島嘉右衛門(たかしまかえもん) という実業家の名が
横浜市西区にある高島町」の地名の由来になっています。
江戸三十堀町(現在の東京銀座)で生まれた嘉右衛門は
14歳ごろから、父親の経営する材木商遠州屋で働き始めます。
幼少のころから記憶力が抜群に良かったと言われています。
父親の死後、多くの借財を短期間で返済し
22歳で自ら材木屋を始めます。
佐賀藩の伊万里焼を一手に販売する会社を興したり、
外国人相手にご禁制の小判を密売して逮捕されたりと
忙しい日々が続きます。
33歳で、江戸所払い(江戸追放)になった為
横浜に向かい、また材木商を始めます。
横浜でだんだん増えてくる外国人からの建築依頼を受けつつ、
横浜尾上町に大旅館「高島屋を建設します。
高島屋は完成後、外国人や政府高官などの
社交場として利用されます。
その後、京浜間の鉄道敷設の為の横浜港埋め立て工事や、
ドイツ人会社に独占されそうになった日本のガス事業を憂いて、
仲間数名で「日本杜中」を結成します。
たちどころにガス会社建設の権利を得て
フランス人技師を招いてガス工場を建設しています。
また西洋人の教師を雇い外国語専門の学校を創設します。
藍謝堂(通称高島学校)は貧しい学生には
経済的な援助もしていたそうです。
 
また、嘉右衛門は易断家としても有名です。
今日でも「易聖」と呼ばれています。
「占い」は「売らない」と言って
決して金銀等の謝礼は受け取らなかったということです。
事業が成功して、財閥を作ったり政治家になったりと
生臭さがチョロチョロしないのが、
高島嘉右衛門の魅力だと思います。