一般コラム
街紹介

汐留の由来

皆さま、こんにちは
田中です!
今月の街角エッセイは
 汐留の由来 ■

汐留は江戸時代以前は海辺の湿地帯でした。
徳川家康秀忠家光
3代に続いた「天下普請」で
湿地帯が埋め立てられ、
新橋・銀座・築地などと並び
大名屋敷を有する武家屋敷街に変貌してゆきます。
天下普請というのは、
各地の大名が徳川家の為に
無料で城下町などを建設する事業
のことを言います。
地名の由来は、
江戸城外堀に潮の干満が影を及ぼさないように
海と堀を仕切る堰があり
それが「潮を止める」ということ
次第に略されて「汐留」と
云われるようになったそうです。
また、
昔この地区に大きな塩問屋があったから
という説もあるそうです。
現在、地名として汐留は存在しませんが、
多くの施設の名称として、
地区の名称等として数多く使用されています。
江戸時代は、
大名屋敷を有する武家屋敷街として栄え、
その後、明治新政府によって
武家屋敷は接収されますが、
明治5年
日本初の鉄道が横浜との間に開設されます。
その鉄道の起点となる「新橋駅」がこの地に建設されます。
(鉄道発祥の0マイル記念碑)
大正時代になると、
旅客の輸送拠点から貨物専用の駅に変更になり
貨物ターミナルの一大拠点として活躍します。
汐留地区は、
時代とともに大きく変革する東京にとって、
なくてはならない重要な場所なのでしょう。
現在では、
巨大複合都市「汐留シオサイト」として、
ビジネスの中心地でもあり、
また観光の名所としても
多くの人が訪れてくる場所です。