江戸時代以前は、浦安、南行徳、行徳、市川、船橋の一部を含む、
かなり大きな地域を「行徳」という地名で呼ばれていました。
地名の由来は、昔この地を開発しながら人々の教化に努めた修験者
(山伏)に因みます。
その修験者は住民と共に土地の開墾や治水をおこなったり、
加持祈祷により戦や病、飢餓などの不安から人々の心を開放してあげたりと、
その行いは常に人々の助けになり、尚且つ、「徳」が備わっていたことから、
いつしか「行徳さま」呼ばれるようになりました。

修験者の行いが地名の由来と云われています。住民も元々信仰心の厚い、
実直な人達がこの地には多く住んでいたそうです。
行徳地域での塩の生産の歴史はかなり古く、千年以上もあるそうです。
徳川家康が関東を治めるようになると、
戦における塩の重要性を熟知している 家康は、
行徳を幕府の直轄領にして、塩田開発に力を入れます。
行徳で生産された塩を直接江戸に運び入れる為に運河も整備されました。
模範や手本の例えに、外国に「地の塩」という言葉がありますが、
行徳と何か通ずるものを感じます。