こんにちは!
4月は入学や就職など、人の動きも多くなりますね。
また気温も暖かくなり、お出かけがしやすい時期になり、
お花見や遊びにどんどん出ていきたいなあとウキウキしてしまいます!
今回は「埼玉県戸田市の由来」についてお届けします。
大きな河川のほとりは、昔から人々が生活を営むには
大変都合が良かったようです。
現在の戸田市周辺も荒川が流れているお蔭で、
人々が住み始めた時期はかなり古く、縄文時代前期末と云われています。
そしてかなり大規模な集落であったそうです。
一見単純そうな地名ですが、
調べてみますとなかなか奥が深くて、決定的な説がありません。
「戸」いう文字が付いた地名は全国に多々ありますが、
戸田の場合は、間違いなく荒川が関わっていると思われます。
「戸」という文字一つに、水の流れの出入り口となるところ(水門)という意味や、
また律令制での家の単位であり、
また外と内を分かつ神聖なところという意味が
込められています。
鎌倉時代には鶴岡八幡宮の社領になり、多くの神社・寺院が建てられました。
江戸時代には、幕府の直轄領となり、荒川沿いの肥沃な土地は、
江戸の穀倉地帯と呼ばれていたそうです。
ただ荒川には、江戸の防衛という観点から橋を架けることができませんでした。
その代りに戸田は中山道の渡船場として栄えました。
明治8年に戸田橋が完成するまで300年以上にわたり、
「戸田の渡し」として
渡し船が利用されていました。
戸田は、食糧生産の拠点としてや交通・防衛の要所でもあり、
また多くの神社・寺院が人々の生活を支えているなど、
江戸の外と内を結ぶ神聖な地であったのではないでしょうか。
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