一般コラム
街紹介

志村の由来

明けましておめでとうございます!
今年もいろいろな地域にゆかりのあること
お届けしたいと思います。
是非お時間のある時にゆっくりと読んで下さいね。
今回は東京都 板橋区 志村の由来についてのお話です。
篠が多く生い茂っていた土地に開村したことが由来で、
志村は古くは、しのむらと称されていたと伝えられています。
鎌倉時代の歴史記録書「吾妻鏡」に記されています。
篠とはのことです。
湧水の多い地域で、中でも代表的な湧水が3つあり、
薬師の泉、見次の泉、出井の泉志村三泉と呼ばれています。
それぞれに歴史や物語があります。
薬師の泉がある場所は、
現在では資料に基づいて「医王山薬師院大善寺」の庭園が復元されています。
薬師の泉の由来は、
徳川八代将軍吉宗が鷹狩の帰りに禅寺である「大善寺」に立ち寄った際、
その風景の美しさと清水の美味しさに感激し、
本尊の薬師に「清水薬師」と名を授けたと云われています。
その後江戸名になり、「江戸名所図会」にも紹介されています。
 
出井の泉周辺は、縄文時代より人々が住んでいた痕跡があり、
古くから湧水の恩恵を受けていた地域です。
明治・大正・昭和と出井の泉の湧水を使い、
練馬大根の一種である、みの早生(みのわせ)大根、清水大根の収穫時、
農家の人たちは大根の洗浄に使っていたそうです!
見次の泉は、現在大きな池のある公園(見次公園)のほとりで
今でもひっそりと湧き出しています。
生命を維持して行くうえで、最も大切な資源はです。
時代が移り変わり、人々の生活が変化しても、
何も変わらず湧き出てくる水に自然の力強さを感じます。