皆さま、こんにちは。
徐々に気温も上がってきて、これから夏本番がやってきますね。
皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
さて、さっそくですが今回は、
「音羽の由来」
についてお届けしていきます♪
1681年(元和元年)徳川5代将軍綱吉が実の母親である桂昌院の願いにより、
この地に護国寺を創建しました。
付近一帯は護国寺の門前町として賑わう予定でしたが、
なかなか人が集まらず一向に賑やかな町になりません。
公が興した事業に江戸庶民の反発もあったのかもしれません。
京都の八百屋の出身と云われている桂昌院 も
このころには偉くなりすぎて庶民の気持ちと
少し開きがあったのかもしれませんね。
困った幕府は、桂昌院の信任が厚い音羽 という江戸城の奥女中に
この場所を与え、町づくりを行っていきます。
この奥女中音羽の名が、地名の由来となります。
その後、江戸有数の岡場所(歓楽街)として大いに発展していきます。
また、音羽は江戸時代、和紙の生産が盛んな場所でした。
付近を流れる弦巻川と音羽川に豊富な水量があり、
水質もかなり良好だったようです。
紙漉きにはもってこいの場所だったのですね。

時代が下り、やがて海外から洋紙の輸入が始まると
和紙の需要が低くなり、川の水質悪化も伴って
和紙の生産も衰退していきました。
洋紙・和紙の違いはありますが、
元々紙の生産拠点だった音羽に現在日本でも有数の出版社が
数社あるのも何か関係があるのかもしれません。