一般コラム
街紹介

保谷の由来

保谷の由来

皆さまこんにちは!

9月に入り、朝夕はめっきり涼しくなりましたね。

これから秋も深まり、きれいな紅葉が観られると思うと

今からワクワクしますねっ!

さて、それでは今回は

保谷の由来」

についてお届けします。

 

保谷市は2001年(平成13年)に田無市と合併し

現在では西京市となりました。

現在では“西武池袋線”の駅名として名称が残っています。


 

保谷周辺には縄文時代から人々が住みつき

多くの同時代の遺跡から土器などが出土しています。

同地は武蔵野台地にあり、白子川石神井川に挟まれ

周辺に比べ、水利が良く植生が豊かな土地であったと思われます。

江戸時代の文献には、穂屋・穂谷と呼ばれていました。


 

また地名の由来も諸説あり

江戸期に保谷氏の尽力によって開拓された土地だからという説や、

在原業平穂屋神社に参ったことに由来するとか、

面白いものでは、

江戸幕府に提出する書類に間違って保谷と記載してしまい以降は

同地にこの文字があてられるようになったとか・・・説も色々です。

江戸時代、
江戸への農産物の一大供給地として発展し、
玉川上水の分水である千川上水の開通を受け
新田開発も積極的に行われました。
そんな保谷市と2001年に合併する田無市は、
読んで字のごとく田がありません
実際には田畑はあったのですが、地名由来のひとつとして、
年貢の取り立てが厳しく、種籾まで取られてしまったため
種無しの村と呼ばれ
それがやがて田無という地名になった説があります。