こんにちは!
今回の街角エッセイは
「東京都豊島区 大塚の由来」についてお届けします。
大塚という地名・名称は全国に何百とあります。
そもそも塚という文字の意味は、
土が小高く盛り上がっているところ、目印などにするために
土を高く盛った場所、墓、標識(一里塚)などの意味があります。
また、塚の築かれる所が境界であるということから、
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この世とあの世を分ける場所であるという、
ちょっと気味の悪い意味もあるようです。
地名の由来は、
太田道灌が狼煙を上げるための物見塚があったからという説や
古墳説など、諸説あります。
改選江戸志という地誌には、付近に住む人々の話として
「大塚通りの南裏、森川鉾太郎という人の屋敷内に
高さが1メートル50センチの塚があり、
その塚の上に榎の朽ちた大樹がその塚と同じ高さで残っている。」
と記されています。
やはり塚としては大がかりなものだったに違いありません。
今ではもうありませんが、昔は、塚の脇に稲荷が祀られていて、
大塚稲荷と呼ばれていました。
当時から何の塚であったかは不明だったようです。
謎に満ちた大きな塚の影響かどうかはわかりませんが、
江戸後期、滝沢馬琴の長編伝奇小説
「南総里見八犬伝」の登場人物のひとり、
犬塚信乃戍孝(いぬづかしのもりたか)の出生地として設定されています。
信乃の父、大塚番作が戦いからこの地に戻ってみると
継ぐべき家督が無くなっています!
大塚姓を名乗ることが出来なくなってしまったので、
大塚の大という文字に点をひとつ付けて、犬塚と名乗ります。
その息子が犬塚信乃というわけです。
大塚の姓に点を付け、犬塚にしてしまうネーミングは
ちょっと笑ってしまいますね!